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OB紹介(投手編)

今年で創部13年目となった山笠クラブですが、これまでに沢山のOBを輩出しております。そこで、過去に在籍していた選手達を部門別に紹介していきたいと思います。

先ずは投手編!(五十音順)

木 康作(KOSAKU AOKI)投手 右・左 背番号21 紹介:益田
青木康輔の兄であり、益田の同級生。住吉中時代は益田との2枚看板エースとして活躍し、東海大学附属第五高校に進学。その当時東海第五のキャプテンをしていたのは桝崎晋史!カウント2-3になると、「打てー!」「入れ-!」と声を出しながら豪快な真っ直ぐを投げていた。尚、声を上げる時はたいがいがボール。

吉 証司(SEIJI AKIYOSHI)投手 右・右 紹介:?
一時期、コカコーラ勤務の野球人が沢山加入した時期に在籍。ややスリークオーター気味からコントロール重視のピッチング。

高瀬 (YASUYUKI TAKASE)投手 右・左 紹介:石井
石井雅之の実弟、兄同様投手であるがタイプは真逆。大きな体格を活かし、真上から投げ下ろす力投型のピッチャーであったが、上半身の力に少し頼り過ぎる傾向があった。ただ、球威は魅力で、トーナメントの先発を数試合努めたほど期待していた選手。第3回マルハンドリームカップ、メトコス戦で最終回2死から畠中がその試合2本目のホームランを打ち追いつき延長に入ったものの、5点を取られ(1死満塁特別ルール)敗れた後の悔し涙は伝説。

竹中 康(YASUAKI TAKENAKA)投手  右・右 紹介:松原
ピッチング、プレースタイルどうこうよりも、入団後初の試合後の加入挨拶の際に、「はじめまして竹中です。“やす”って呼んで下さい!」と、あいのり顔負けの挨拶が印象的な宮﨑人。

浜口 (DAISUKE HAMAGUCHI)投手 右・右 背番号18 1期生
山笠クラブ創設者であり、初代監督。沖学園で硬式野球を卒業し軟式で新たなスタートを切ると、その才能が認められ翌年にサニクリーン九州へ野球で入社し数年後に全国大会優勝を達成。その経験を引き下げ山笠ルーキーズに出戻り、石井の活躍で勝ち上がった日刊スポーツマリン杯全国大会決勝のマウンドを託すも、1回3失点を喫して降板を命じた。全国優勝を逃した、今でも悔しい思い出だが一番悔しかったのは彼だろう。そのマウンドを最後に山笠を去った。いろいろあったが、今は感謝を伝えたい。

田 康則(YASUNORI YOKOTA)投手 右・右 背番号6 紹介:瀬川
ビッグマウス。という言葉が野球でも私生活でも一番よく似合う。素晴らしい素質を持っている選手であったが、無断欠席やチームメイトとのトラブルにより脱退。

大伴 啓(KEITA OTOMO)投手  左・左 背番号17 紹介:瀬川
2003年の夏に山口県代表、岩国高校のエースで4番として優勝候補広島の広陵高校を破るなど準々決勝まで勝ち進み甲子園を湧かせた左腕投手。その後慶応大学へ進学後は同学年に大学BIG3の加藤幹典が居たことから野手へ転向し、慶応大学の5番を任されていたほどの打者。山笠クラブ加入後はもちろん投手として活躍するも転勤に伴い脱退。
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歴史

当初、山笠ルーキーズとして発足したチームも、もうそんなに経ちますか

ここまで未だ強いチームとして存続しているのも、1つは監督の人脈。
もう1つは、毎回会議に出席し、試合場所や日時の管理とチームメイトへの連絡を努めてきた結果だと感じます
余程好きでないと勤まりませんよ監督様様

今後益々のご活躍を期待しております

感謝

中田繁様、コメント有り難うございますおっしゃる通り好きじゃないと勤まりませんね。
ただやはり一番はチームメイトに恵まれています素人監督にも関わらず文句も言わず従ってくれますから。
主力も30代になりましたがまだまだバリバリですので、もう一度このメンバーで全国の舞台に立ちます
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